努力の定義とは何也
努力って難しいなとそんな話。
人間生きていれば必ず何かしらの競争には巻き込まれる、試験だったりスクールカーストだったり……生きる事すら生存競争と言えたり何かしら。
その中でより良い結果を出す為には努力する訳で……ただ、この努力って不確かで曖昧なものだから難しいなと。
いくら自分が努力したと思っても周りがより頑張っていたなら結果は出ないし、
いくら自分が努力したと思っても元の能力が劣っていれば結果は出ないし、
いくら自分が努力したと思っても運が悪ければ結果は出ないし、
いくら自分が努力したと思っても本当は努力していないかもしれない……。
努力ってのはあくまで課金ガチャ引くダイヤとかジュエルとかコインでも何でも良いけど、そんなもので結果が出るかはガチャ次第……というとあまりに身も蓋もないしそんな事は流石にないけど。でも努力が絶対のものとは思って欲しくないなと。
成功するのに大多数の凡人は努力が必要だけれど、努力したからと成功が確約される訳じゃない。勿論、努力を必要としない天才等もいる。
でもそもそも頑張ったか頑張ってないかって自分で判断する事なのか……
自分ってフィルター通したら客観的に判断し辛いし、他人が頑張っているかどうか比較すら出来ないんじゃないかと思ったり。
だから他人がより努力していたとしてもそれに気付かず
「私はこんなに頑張ったのに!」「あの子は全然頑張っていないのに何で!!」とかちょっと面倒なキャラに変身しちゃうんじゃないかな。
それと頑張るってある種の苦手な事嫌な事に使われる事が多いから……
いくら頑張って勉強をしても、頑張らずに楽しんで勉強してる人には追い付けないかもしれないし、言葉遊びかもしれないけれど。
そして努力とセットになって登場するのは
「やってきた事は無駄じゃないよ」とかそんな感じの台詞
それも正しいとは思うけど、北に10km進みたいのに南に10km走ってたら
反対の方向に走っていたという事を理解したり10kmという長さを理解は出来ても
現実的に考えたら他の人が10kmで良い距離を20km……最初の10km入れて30km走らなくちゃいけない訳で、無駄じゃないけど無駄だよってお話に。
全く別の何かだったり次の機会に活かす事は出来ても今回は無駄に終わる事も……
でもそうやって意識切り替えてポジティブに捉えるのはそれはそれで良い事なんじゃないかなと。
こうやって書いてきたけど自分でもよく分からなくなってきた……。